無意識って案外言葉に現れる
こんにちは! てるてるです(・ω・。)
今回は私達が普段何気なく使っている言葉について書いていきたいと思います!
「無意識に思っていることって、案外言葉に出る」
というのを日々感じております(・ω・`*)
このブログの冒頭文、
「今回は私達が普段何気なく使っている言葉について書いていきたいと思います!」
となっていますが、
最初は
「今日は私達が普段何気なく使っている言葉について書いていきたいと思います!」
って書こうとしたんですね。
私は文章を書くことが好きだから、もっとわかりやすい文章を書けるように練習の意味も込めてブログを書いています。
目標は1日1記事で、とりあえず今日までは毎日更新し続けています。
毎日更新するのが習慣となりつつある私ですが、読んでくださる方はいつ読んでくださるか分からないわけで。
更新した日かもしれないし、1週間後かもしれないし、3ヶ月後かもしれない。
ですので、私が毎日更新しているからと言って「今日」という言葉を使うのは不適切なのかもしれないと思ったのであります。
てるてるよ、読者の方の「今日」は、君の「今日」とは違うのだよ(*-ω-*)
あと気になる言葉は「〜してあげる」ですね〜。
「教えてあげる」とか「遊んであげる」とか。
よく考えてみると、「こいつ何を偉そうに!」ってなりませんか?(私はなります笑)
恩着せがましいなって、ちょっと思っちゃいます笑
ふつーに「教えるよ」で良いじゃん!て。
ここに、教えるAさん、教わるBさんがいたとします。
Aさんが「教えてあげる」と言った瞬間に、
教えるAさん→上
教わるBさん→下
みたいな上下関係をAさんが勝手に作っちゃう気がするんですよね。
まあ、そう思ってるから「教えてあげる」と言う言葉がでてくるのでしょうけれど。
ホントは教える側もより理解を深められるメリットがあるので、「教える」「教わる」関係は持ちつ持たれつなのですよ(・∀・*)
もう1つ「手伝う」という言葉も気になります。
「手伝う」ということは裏を返せば「自分の仕事だと思ってない」ってことです。
もちろん、Aさんに割り当てられた仕事が終わってないからBさんが手伝う、とかなら分かります。
しかし、どう考えてもその人の仕事なのに「手伝う」という表現をすることがあります。
それは家事です。
私も小さい頃言ってましたね〜。
「お母さん、家事手伝うよ!」って。
でも家事って本来その家に住んでる人ができるときにやるものです。
別にお母さんだけの仕事じゃありません。
だから家の住人である私は、本来なら
「お母さん、家事やるよ」でいいわけです。
というか、そんな宣言しなくてもやるべきなんですけど笑
この辺「家事は母親、または女の仕事」という刷り込みをなくさなければならないなとつくづく感じています¢(・ω・`)
家族みんなで協力して家事をやりましょう!p(`ω´)q
もっと仲良し家族になれますよ!
私は、誰かが苦しくなるような考え方は、さっさと捨てたほうがいいと思っています。
ステレオタイプ的な考え方ですね。
「友達は多い方がいい」とか、「女は家事をしなければならない」とか、「B型はワガママ」とか。
その他なんの根拠もないのに、型に押し込めようとする狭い考え方がわんさかあります。
私はそれで苦しい思いをしたことがあります(*-ω-*)
というか、苦しい思いをしたことがない人ってあんまりいないのではないでしょうか……
今まで生きてきた中で周りからそういうのを刷り込まれてきましたが、やっぱりおかしいと思い、脱却しつつあります。
みんなが幸せに生きられる世の中になってほしいです(・ω・。)